酒井と申します。
『カウンセラー』がひと段落して、急遽コロナ禍を舞台にした別の短編も半分撮影して、あとは秋ごろに回して、今は合間。
企画を練らないとと思っているんだけど、そのためにも色々考えたいなと思って、友人の畠山くん、百々くん、(宮崎くんはこの時仕事でおらず)を呼び出して、時折話し合う機会を設けましょうといってオンラインで集まりました。
この映画のココを見ておいて、とだけ伝えた上で。
完全に自分たちだけのための会話なんですが、このサイトをすっかり放置しているのもあって、一部自分たちの幼稚な発想なども特に隠すことじゃなし、余裕あれば自分たちの立ち位置の確認のためにも、自戒のためにも、部分的にアップした方が良いんじゃないかということでアップしてます。なのですみません、読んでも素人のぼやき雑談で、意味は無いです。
口語を適当に字幕ソフトでテキスト化。
酒井「すいませんねこれ。これは俺のためなんだけど、ミタフリやってるじゃんね?なんかあれをやってみて「話す」というのが自分の中でも意外と重要だと思ったんだけど、それと別に、完全に自分のためだけになんか話しあいたいなと思ったんだ」
畠山「はいはい」
酒井「それなんでかって言うと、考えたいなと思って…。何を考えたいのかっていうと、最近その、これは俺だけなのかもしれないけど、もう映画を見るのが苦痛になってきたんだよね。で、面倒になってきちゃって。で、退屈になってきたんだよね」
畠山「今までもあったの、そんなこと?」
酒井「まあたまにはあったんだけど。今は本当に……多分この先もそうだよなって感じなの。それって何でかというのを考えたいなと思ってるんだ」
畠山・百々「うん」
酒井「これは単なる俺の仮説なんだけど、映画の個性が、内容・ストーリー・主題、その部分のバージョン違いになってるように思うんだよね。それがつまらなさを生んでるんじゃなかろうかと、で退屈を生んでるんだと思ってるの、俺としては。だけど、そうじゃなかったはずだというのがあるから、それをもう一度考えるのがどうかなと思ってるんだけど……。もう端的に言ったら、俺『ドラマ』というやつに多分飽きてんだよね」
畠山「わかるー」
酒井「ストーリーというそのものがつまらないな、と。で、良いドラマが、良い映画を生むみたいなさ、シナリオが良ければ……みたいなの。でも最近慣れきってるからかもしれないけど、もう「今ドラマ語ってる」ってが見えた瞬間に飽きるんだよね。「今ストーリー語られている」というのが見えた瞬間に。とはいえ、ストーリーが全くわからない作品見てると20分くらいで寝ちゃうの」
畠山「(笑)」
酒井「だから、正直ストーリーというバージョン違いの映像には、もう意味が無いような気がしてるんだよね。でさ、大抵のものを見ても大体「つまんないな」と思ってんだけど、なんなら途中で辞めちゃう、劇場も出ちゃうんだけど……。稀にそれを『超えてくる』ものがあるわけよね、古い映画が多いんだけど。それがなんでなんだってことを考えたいの。それを話し合いたいなと」
酒井「完全な消去法なんだけど、映画の本質的な面白さ、『超えてくる』面白さってまず、ドラマじゃないだろうなと。確かにドラマがベースにはある、ストーリーが前提としてはあるんだけど、それ自体が面白さじゃないんだろうと思ってるの。関わってはいるけど、それではない、と」
畠山「うん」
酒井「で、じゃあ画の美しさなのかって言うと、写真とか絵画展とかアート映像の方が美しいと思うし、そもそもそれこそストーリー関係ないじゃん。で、なんか『超えてくる』ものってそれとは違う。単に俺の仮説なんだけど、例えば感動するドラマとかさ、文脈でもって感情に訴えてくるし、画面の美しさは美術館みたいな感覚で鑑賞者として見て「美しいな」なんて思ったりするんだけど、面白いもの・『超えてくるもの』ってそういう知性の絡んだ、理解した上でのものじゃなくて、見ている最中の感覚的なもの……。うーん、何言ってんのかさっぱりわからないんだけど(笑)。つまり何が言いたいかって言うと、「ワクワク」とか「ドキドキ」とか「ハッ!」とか擬音にしか換算できないものってあるじゃん」
畠山「いやー、わかるよ」
酒井「で俺が思うのは、それこそが本質だったんじゃないかって最近思ってるわけ。だから最近の映画本当につまんないなって思ってるのは、やっぱりテーマイズムというか(※1)……テーマだのストーリーだのに力がいってて、表現それ自体はワクワクしないからなんじゃないのかなって。そもそも画と音でしか表せないものというのに作品がいってなくて、小説でもいいものという段階で止まっていると言うか。それをキチっとした芝居で録画したという感じが、この『飽き』を生んでるんじゃないのかなって」
(※1 そんな言い方あるか知りません。「第一主義」みたいな言い方が思いつかずに「イズム」と言ってるだけ)
畠山「例えば映画を何で見るかっていうとさ、というか皆それぞれ楽しい映画を作ろうと思って作るんだろうけど、ゴールは楽しめるものを作るってことだったはずが、ゴールが動いちゃってるっていうか。なんかゴールに向けてのストーリーだったりリアルな演技だったりとかの表現があったはずなのに、なんかそっちに(後付けの方に)走っていっちゃったっていうか。そういう感じするよね」
酒井「そう思ってた時に、なんかこう『超えてくる』ものを、自分たちで「あー、これ『超えてる』よね」ということを発見したいなって俺は思ってるの(笑)そうすることで自分たちがーー」
畠山「ワクワクを取り戻すのね」
酒井「そうそうそう。なんのために作ってるのかっていうのを、見失っちゃいけないコアみたいなものを。特に過去の作品にはあるから。それでね、最近俺が見てて久々に(面白さを)取り戻したと思った映画の一部分を見て欲しいなと思って伝えたの」
このあと2作品のそれぞれ一部ずつについて話しあう。
株式会社DrunkenBird
百々保之
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