僕がどどPになった理由

どうも、どうも、百々です。

なぜ、『カウンセラー』を制作するにあたり録音部を辞めることになったのか。なぜ急にプロデューサーになろうと思ったのか

なぜ?と言われるとまるまる僕の人生から語っていくことになるのでここでは色々すっ飛ばして要点だけ押さえて伝えようと思います。

大きな答えの1つとして「もっと映画を丸ごと楽しみたい」ということがあります。

そして録音部を辞めてでも賭けるに値する価値のある行為だと思っているからです。

さて、わたしドードーは実質的な収入を商業映画、テレビドラマやCMの録音、音声業務で得ています。まぁいわゆるプロってやつです。

細かい内容、作品歴などはまた別の機会で述べますね。


※後日掲載※ 録音部のお仕事〜目に見えないものを目の見える人たちに伝える〜


一口に言って録音部の仕事はとても楽しいです。大好きです。

台詞を録るということ。芝居を録るということ。シーンを考えること。特に映画に関して言えば仕上げのことを想定して現場に臨み、音による世界の構築に思いを馳せて仕事ができるのがとても贅沢で充実した時間を過ごせると思います。録音という業務は現場だけにとどまらず、その後のポスプロも携われる、そんな分野なわけです。

多くの人が脚本をもとに現実に起こす作業をしてカメラのレンズがそれを切り取っていきます。

そんな中、切り取られ、繋がった後のことを考えながら皆より一歩ひいて仕事をする録音部の仕事をとてもクレバーで誇りのある仕事だと思っています。

(これは僕個人の意見です。実際仕上がりのことを考えていない人なんていません。皆それぞれ自分の仕事に誇りを持っていることと思います。)

しかし日々、現場を重ねていくうちに僕は思い始めます。

現場よりもっと前、あとに関わることはできないのだろうか?

もっと映画というものを端から端までしゃぶり尽くすことはできないのか?

録音部をはじめたきっかけ

そもそも自主映画で自分で監督をしていた僕、そんなとき映画美学校で録音部を担当する人間がおらず、なぜか僕が担当することに。。。

音の機材も触れるし、自分の映画にいかせるかも。

よっし、やってみっか!!

そんな軽いノリで始まりました。

ところが一度でも録音をやったことがある。となると色々なところから声がかかるようになります。そう。自主の世界も商業の世界も録音部をやる人間というのは希少なのです。

いつしかお金をもらうようになっていき仕事としてうけるようになります。

そこそこ稼げる、現場出れる、人脈つくれる。こりゃもってこいだ。なんてなったわけです。


※後日掲載※そこそこ稼げる自主映画?でもそれってなんのため?


商業映画の世界

どうせやるなら日本映画界の中心、シネコンにバンバンかかるような映画の現場っていうのはどういうものなのかな?一度一流の世界を覗いてみたい。なんて考え始めていました。

段々と自主映画をやらなくなって商業的な映画やドラマ。いわゆる大作ものなんてものが増えてくるとそれはそれで居心地がいいもので調子にのってきます。


「え?自主映画?誰その監督?なんでそんなとこでやってんの?こっちはこの前〇〇組終わったばっかで、今度は〇〇組だよ。いやぁ金なんて使ったぶんだけ入ってくるんだよ〜」


ハイ。クソですね。

かなり誇張してますが自分で書いてて嫌な奴だなって思いますね。

表には出しませんが深層心理ではこんな感じだったと思います。


自主映画なんて狭い世界でやっていてお金にもならない。社会的な意義もない。しょうもないものだな。という認識になっていきました。

これは業界に一定数ある考え方ではあります。全員が全員ではありませんが。

映画はテレビを蔑み、テレビは映画を蔑み、商業は自主を蔑む。これは一定数の割合で確実に存在しています。


みんな求めているモノも求められているモノも違うんですけどね。


そんなこんな商業の世界にドップリと浸かっていった僕ですがこうも思っていました。

やっぱりちゃんとした体制はいいなぁ。しっかりと自分の仕事に取り組める。いい仕事ができる。

これは録音部に限った話ではないのですが低予算バジェットになればなるほどお金の都合で人員は少ない、スケジュールもない、時間もない。心の余裕もない。ないない尽くしになって現場の体制は凄惨なモノになっていきます。みんな自分の仕事に満足できないけどこれも仕事。として割り切っていくのです。これも根深い話なのでおいおい↓


※後日掲載※なにを求められて、なにを答えるべきなのか、〜その答えはマッチしているの?〜


いい仕事とは?

だいぶ脱線してきましたかね?文章うつの慣れてないんですみません。

もう少しお付き合いください。


いい仕事ができるしお金ももらえるし楽しいし、こりゃ天職だな!なんて思っていた僕ですがふと思います。

いい仕事ってなんだ?

「いい仕事をする」ということと「いい作品を作る」この二つは同じ方向を向いているようで必ずしも、常にイコールな関係ではない。


撮影現場の最前線にいて僕はいつしかその点に目がいくようになりました。


※後日掲載※アメリカに行きたいか!?行きたいなぁ〜理想の労働環境?目指せ庭付きプール付き半年だけ働けばいい生活〜


酒井善三と「狩人の夜明け」

こっからが本題。

酒井さんとは映画美学校の同期でかれこれ10年の付き合いになる。そんな彼が長編を書いた。といって見せてくれたのが「狩人の夜明け(仮)」だった。

(といってもこの頃はまだそんなタイトルでもなくもっとふざけたタイトルだった。狩人〜は下北沢で飲んで歩いて帰っている時に思いつきで決まったタイトルだ。いま思えば大体のことが酒の勢いで決まっている)


あ、これ面白いな。


と思ったのは覚えている。

その後どういう心の流れだったかは正確には覚えていない


これはどうにかしてでも撮るべきだな

と考えていました。


酒井善三という男について少し話します。

仕事として色々な監督を見てきました。

仕事を通じて色々な脚本を読んできました。


ものすごく極私的な見方ですが

酒井善三よりも優れた演出力を持った人間には会ったことがありません。
酒井善三の書いた脚本より心をぞわぞわさせられたホンはありませんでした。


これは別に誇張ではなく素直に思うことです。感じたことです。

ではなぜ、そんな才能のある男が日の目を見ないのか、僕はそこにこそ業界の不条理のようなものを感じます。現実、監督に求められることはベテラン役者やカメラマン、プロデューサー、事務所に対する立ち回り方だったりします。(もちろんそれも大事な要素だと思います)


酒井は卓越した演出力、脚本力、カリスマ性を持っている人間です。反面、とても真面目で義理堅く、自分が人を傷つけることを最も恐れている人間でもありました。自分のために誰かを踏み台にしたり、欺くことはできない性分なのです。


なんで誰も彼を支えようとしないのだろう。


僕はものすごく不思議に思いました。


酒井くんは才能ある。面白い。そう言う人はいるものの本格的に助ける人はいませんでした。少なくとも僕にはそう見えました。

また酒井も自主で映画を撮るということがいかに個人に負担を強いるかを知っていたので自分から他人にお願いするということに抵抗があったんだと思います。


んー、どうにかならないもんかな



じゃあ俺がやるか


となりました。


足りないものは補えばいいのだ。

酒井善三には脚本力、演出力、カリスマ性

百々保之にはコミュニケーション力、行動力、社交性

なんとかなるな。なんて

その背景にはサブスクリプション体制のNetfrixやAmazonが台頭して必ずしも映画館やテレビ局に依存せずとも世界に発信できる。Youtubeやinstagramのように個人から発信して多くの人に届けられる世の中になってきたことによる違った切り口で勝負ができるんじゃないのかと思っていたことがあります。

日本では2割では勝算はなくとも世界の2割を取れれば勝算はあるのではないか?

そしてその世界の2割の層には需要があるジャンルを書ける人間がいる。

その中で酒井善三、『狩人の夜明け』という二つの強力なカードがあれば相当面白いことになるんじゃないか。と


この時、ちょうど現場が一緒だったこともあり脚本を読んでくれた俳優の仲村トオルさんが「面白い!」と言ってくれたことが凄く背中を押してくれました。

一流の役者さんでもちゃんと面白いものがあれば面白いと言ってくれるのだ。


面白いことをやるのには録音部ということに拘る必要もないし思い切りやるべきだな。と

よくいうこの人を支えたい!的な考えは全くない。俺は俺で目論見があって面白そうだと思ってるから一緒にやろうよ。ということで二人でやっていくことになったのでした。


『カウンセラー』という映画を撮る意味

『狩人の夜明け』という長編映画を撮るための布石として名刺となる作品を撮ることが必要に思えた。そんな時に酒井が書いてきたのがこの『カウンセラー』でした。なるべく予算がかからないように、しかしお話としての面白さがある。引き込まれる。またすごいの書いてきたな。

資金の調達としてクラウドファンディングを選択したことには理由がある。我々が面白いと思っていること。

やろうとしていることにどれだけの賛同者がいるのか知る必要があるし、そういう人たちがこれだけいるぞ!

というのは僕たちにとって武器にもなりえるのではないか、と。


正直今回の設定120万円程度なら個人で持ち出そうと思えば持ち出せる金額です。しかし敢えてそうしない意味はあるのだ。

我々にはどれだけの支持者がいるのか。これだけの支持者がいるのだ!

と、この先に待つ資金繰りや宣伝をしていく中で勝負をかけていくためのカードが欲しいのだ。


労働環境

これも我々が大事にしているテーマの一つである「面白いものを健全に作る」の根幹である。

たかが自主映画。作品第一で無理して押し通していいんだよ。なんて言われることもあります。がしかし、果たして一線級の商業本編映画はスタッフに十分な給与が支払われて、毎日9時5時で家に帰れているのか?


僕の経験上そんなことは全くない。


そんな現場もたまにはあったが超絶レアケースだ。

毎日4時起き終電帰りだったりする。自主も商業もそのへんは大して変わらない。

つまり素人もプロもスタッフや役者に無理を強い続けているのが現実なのだ。


今回は安いんだけどごめん!


そんなふうに言われて仕事を頼まれることはしょっちゅうある。

じゃあ次回は?

次回はギャラは多くてスケジュールはゆったりなんですか?


次回などないのである。


その一回を大事に、真摯に向き合わないと次がいつになるかなど誰にも約束できないのだ。

曖昧な口約束で朝から晩まで引っ張り回し、失敗すれば新人を殴り、最悪の場合ギャラも支払わない。いくら好きなことを仕事としてやりがいがあったとしてもあんまりすぎやしないだろうか?

いま業界は深刻な人手不足である。

理由は明白。なり手がいない。辞めていくからだ。

そりゃそうだ。こんな夢も希望もない、労働環境では辞めて去っていく人間の方が正常だ。

朝食を自宅で家族と食べて出勤し、夕食をゆっくり家で過ごしながら家族と食事し、週末のことを考えて調べ物をしたり本を読んだりする。

そんな人間として当たり前の生活はまずない。

そんな状況で夢と希望を持った新人はなにを思うのか。

まぁ大体辞めていきます。

単純に、入ってくる人間より辞めてく人間が多いので人手不足なんです。


「ここで辞めるようだったらどのみち辞める人間だったんだよ」

「アイツはむいてなかったんだよ」

「なんでフリーランスなのに教えなきゃいけないんだ」


そんな言葉を聞いたことがあります。

どうして自分たちの責任だと思わないんだろうか。若い子に仕事の楽しさ、素晴らしさを教えるのもキャリアある先輩の仕事ではないのだろうか?できない人間をできないやつが悪いと簡単に断罪する。そんな行為を平気でする人間を僕は軽蔑します。そしてそんな人間を容認しきっている状況に危機感を抱いています。


フリーランスの集団であっても、フリーランスだからこそ先輩から後輩に受け継がれるべきものがあります。そうでなければなにを伝え受け継いでいくのだろうか?技術?引き出し?それだけではない。魂、考え方、心のあり方にこそ大事なんではなかろうか。

少なくとも僕が出会った素晴らしい先輩方から僕はそんな心意気的なもの、生き方的なものを学びました。

そういう意味では僕は尊敬できる人に出会えてる点でかなり幸運でした。


人を育てる。未来を育てる。

一般社会においても、撮影業界にしてもそれはとても大事なことです。

例えば、一般企業も新人を育てるために3年は投資として雇用するという話聞いた事ありますよね?そういうことなんです。

しかし今の撮影業界には圧倒的にそんな余裕がないのが実情です。

お金がないから時間がない。時間がないから余裕がない。

余裕がないから育てられない。


未来を育てることに関心が薄い。


未来のための一石

僕と酒井がやろうとしていることの軸の一つに「健全に作品を作る」とあるのがここの部分です。お金がないから無理をする。ではなく。お金がないからこそやる意味があると持っています。

たかだか自主映画でなにを。って話ですよね?僕もそう思います。

だからこそやっていく意味と価値がある。

ここで無理を押し通すことをすればその先も無理を押し付けていくだけです。

言いたいことは

この仕事の未来に不安を感じているスタッフ、役者の方々味方になってください。

ということです。

誰にも見向きもされていない今、この瞬間から、未来を守っていく!と大見栄をきる僕たちに賭けてもらえませんか?こんなに面白い博打はないんじゃないかなと思ってます。


ここから変わる。


変わろうとしている人、変わるべきじゃないかと思っている人たちには刺さる

僕はそう信じています。


事前の準備に時間と労を費やす。

脚本が面白い

演出も面白い


志にかけてくれる人、面白いものを見たいと思う人がどれだけいるのか知りたい


読んでもらえれば乗ってもらえるという自信はある。誰が書いたか知らないものの1ページ目を捲らせるのが僕の役割なんじゃないか、と思っています


そろそろ文章書くのが限界なんで今日はこのへんで。

続きはおいおい書いて行きます。


結論から言うと

僕は録音部を辞めたわけでないですね。一時休業です。(ここまで読んでくれた人には騙してすみません笑)

純粋に部とかそういうことを無しにしてもの作りを楽しみたいのです。


いまもこういった宣伝などやったこともないことを沢山やって疲れますけどね。基本マイクしか振ってこなかったんで笑

毎日死ぬほど楽しいです。いまやっている目の前のことが想像もつかないほど大きなものになっていくんだと思うとワクワクしています。そうなると酒井を信じてもいます。


※後日掲載※生きていても死んでいる。〜病気のおかげでカタチ造られた僕の人生観〜※


↑は需要があればってことで笑

おいおい僕の視点からのDrunkenBirdの活動、方針を綴っていきたいと思います。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

ではでは

いや

どうもどうも

0コメント

  • 1000 / 1000

株式会社DrunkenBird

百々保之