『RIP』について。①制作前

【1.制作開始に至るまで】

この作品を作ったのは2018年の5月です。

この4ヶ月ほど前には、僕は『狩人の夜明け(仮)』という長編シナリオを書き、

実現したいと思い、個人的に知り合いのプロデューサー等に送ったり、どう企画を出せば良いのか右往左往していました。

その内、美学校同期で友人の百々君と会う機会があって、「こんなことをしようと思ってる、一応読むならシナリオを」と送ると。

後日百々君から呼び出され、「是非、実現しましょう」と言ってくれました。

おそらく録音で現場に出ている彼は、彼なりに、「面白いことをしたい」と思って始めた仕事に、「必ずしもそうはいっていない」と疑問を持ち始めたのかもしれません。

それが「お金をもらうプロというものだ」と言ってしまえばそうだし、「仕事自体に面白みを感じなきゃ、お前は向いていない」

と言うのももっともらしい反面、「考えるのは止そうよ」という企業戦士的諦念に聞こえる。

特になぜか、「会社に所属するノーマルサラリーマン」を避けたであろう人たちがそれを口にするのは、皮肉にも思えます。

百々君にとって面白いこと、つまり「良い仕事」でなく「良い作品を作る」には、セクション内での分業的切磋琢磨以上に、自分から企画実現をしないといけないのでは?

百々君としてはそう思い始めたのではないか、と僕は思います。

つまり、僕がやりたい、ということに、百々君は自分の現場への疑問・やりたいことを更に重ねて乗っかってきたのです。

僕としては、だから百々君を信用しています。

「お前がやりたいということ、俺はやらせてやりてえからなあ」というのは、おぎやはぎさんの漫才の中ではとても良いですが、

リアルでは今ひとつ信用できません。

そこで百々君と僕で、何かやっていくであろう、というおぼろげな共通認識が生まれたのでした。


さて、自分たちでは面白くなると思っている企画のタネがあるとは言っても、お互いにそこからどうすれば良いかわからない。

おまけに新人監督、しかも無名、口先だけは達者、となると正直絶望的です。

自主からのプロデビュー方法はいたって簡単。(あくまで僕の勝手な認識です)

①短編で国内外の映画祭でめちゃくちゃ当て、劇場デビューのきっかけをつくる。

②長編で一気に劇場デビューし、当てる。あるいは、次の仕事につながる誰かの目に留まる。

がほとんどだと思います。

どちらも自分の貯金から作ることがまず大多数で、中には稀に誰かや役者からも出資してもらえることや、

ワークショップ的なものの中で制作したものが当たった、という話も聞かないではありません。

しかし、いずれにせよ、自分はともかく周りも、無給やそれに近いということは当たり前のようにあるでしょう。

そうして作り手たちは申し訳なさそうな態度を見せながら、

「作るのなら、迷惑をかけるくらいの気でなきゃ!」と他人に正当化してもらえる機会を待っているのです。

そのうち、自分が十字架を背負ったアーティストであるかのような、あるいは自分の作るものが社会的意義を帯びているかのように錯覚し始める人たちもいることでしょう。自己正当化とは、もっとも恐ろしい心の作用です。

(それに関して云々する気はありません。僕も同じことをやっています)

そして実際幸運なことに(あるいは不運なことに?)、信じられないほど度量の深い方たちが、技術をやってくれたり、制作を手伝ってくれたりするのです。

技術の場合はそこに自分の面白みを乗せられることも、僕自身かじったことがあるので理解できるのですが、

制作や助監督や車両となると、やりがいを見出しにくい場面も多く(あくまで『僕の中』です。失礼であれば申し訳ありません)、率先してやってくださる方々の、本当の人徳の大きさがわかります。そして、商業を習ってなのか、なぜか扱いまで酷かったりする。謎です。(まあ、僕は商業のことなんて全く知りませんが)

全ての映画を本当に作っているのは、実際にはこの人たちだと僕は思っています。できる人はごく少数。できない人は永遠にできない仕事です。

いらぬ補足をすると、僕自身は正直自己中で人徳もなく、他人の現場スタッフは面白くない、といつも思っていて、頼まれてもかなりイヤイヤです。

他人の現場って何をすれば良いか、どう動けば良いか正直よくわからない。というかつまらない。我ながら最低ですが。


さて、この『狩人の夜明け(仮)』も

①自主で低予算だが工夫を凝らし、

②方々に謝り、お金は払わず、

③友人のやりがいと善意を踏みにじりながらいつものように作るのか・・・。

「いや、この企画でそれは嫌だな」、と僕は思っていました。

しかし、稲川淳二さん以外が「嫌だな嫌だな〜」と言っているだけでは、何かが前進するわけではありません。

僕と百々君は、一旦現実を逃げ出し、

「ここでただ待っていても仕方ない。リハビリがてら、とにかく何か小さなものでも良いから作ろう」と顔を見合わせました。

というのも、そのころ僕は、作るのも見るのも急にバカらしく思えたり、そのあとはシナリオにかかりきりだったりで、約3年は何も自分から作っていなかったからです。(ライブやMV除く)

なんとなくそんな「何か作ろう話」に飲みながらなったのが4月の末。おそらく29日とか30日だったと思います。

百々君はそこで「5月20,21日なら同期の現場が2日空くから、技術やってもらえるんで、そこで撮影決定で」と言いました。

「やば!時間ないし、まだ何やろうか考えていない」と内心僕は焦りました。ただ、酔っていたので「イケる」と答えました。

いつだって大事なのは、勢いと酒なのです。

恐らく、それによって生を授かった方もたくさんおられるのではないでしょうか。わかりませんが、祝福すべきことです。


さて、とりあえず撮ることは決まった。

じゃあ、作るのは何にしよう。

これまで辿ってきた思考回路からして、お金がないということはさておき(「さておくな!」とお思いでしょうが、堪えてください)、

「無茶したくない」と思っていました。

「せっかく撮るのだから、すごいカットをどこかで撮らないと!そもそもそういうホンキさが無いなら、わざわざ撮影などする意味すらない!」

という雰囲気(注:僕が勝手に感じているものです)、そういう作り手側(自分自身)の「どうせやるならナルシシズム」を不審に感じたのです。

画のパンチ・画の労力以外の自主映画があっても良いし、それが成立するなら、今後撮るときの僕の罪悪感も少なくて済む、そう思ったのです。

(メインは後の方の理由でしょう)

ここから、題材とストーリーをどう決めたのかは、ちょっと真面目になる気もするので別の記事にしますが、

前提条件としてあったのは、前に作った『エピローグ』とは真逆です。

(『エピローグ』の制作過程については別の記事にあります)

「ただ、人が悶々としている様子や、会話はおろか、モノローグの一人芝居だけで面白くはできないだろうか」ということです。

さらに、今回はフィルムでないので音も最初からあるし、付け足せる。

となると、①画でオンで見せること、②音で聞かせる情報、③どちらも合わさることで暗に提示される情報、

そのそれぞれちょいギリを狙うこともしてみたい。

というのも、情報がギリギリだと、かえって面白くなるのでは、と思っているからです。

映画の知識をヒッケラカして言いますと、たしかヒッチコック御大も「言外に表現する(アンダーステイトメント)」みたいなことをおっしゃっていましたよね!

それですよ!僕が言いたいのは!ということです。多くの映画ファン同様に、長いものには積極的に巻かれていくタイプの、僕も根っからの権威主義者ですから、

著名人のこういう後押しとなる言葉があると、ハッタリをかますのに非常に便利だなといつも思っています。

できるだけゼロ円でできる範囲で、

「情報過多より、情報少なく」かつ、「アートというよりは普通に寝ないで見られる」、そういうものにしたいなと思いました。

そうして、『RIP』は僕の中では3年ぶりの、「さかいトリエンナーレ・表現は最初から自由展(誰も見ないし)」出展作となったのでした。

(題材・ストーリーについて、さらに制作自体は、別に書きます)

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百々保之