『エピローグ』の撮影について。①

①【制作のいきさつ・準備】

まず、撮影したのは2015年の夏です。

そもそもの発端は

百々君「映画美学校の同期の結婚祝いに、みんなでそれぞれ何か撮ろう!」

と、言い出したことだったと思います。

その時、良いねえ、そうしようそうしよう、と数人の同期で話がまとまり、「どうせだったらフィルムを1巻ずつでやろう」と、誰かが言いました。

「思い立ったが吉日」をモットーにしている百々君は、

百々君「じゃあ、俺フィルム買ってくるから、それぞれ欲しい感度を言ってよ」

と率先して腰を上げ、僕はなぜか、「モノクロのフィルムでやってみたい」と注文しました。

全く意味はありません。今更だれもやらないことをやってみたかった。天邪鬼だった。それだけだったのです。

それがのちに悲劇を生むことになろうとは、まだ知る由もありませんでした。(※③【フィルム現像】の章で書いています)


百々君が買ってきてくれた16mmフィルムは、僕のモノクロフィルム、それと誰かのカラーフィルム1巻ずつでした。

みんな「やるやる!」と最初は言っていたものの、そこは社会人。蓋を開けてみれば「とは言ってもやれないよ・・・」という大人の塩対応だったのです。

そんなわけで、当時は会社にいたので結構バタバタしていたにも関わらず、今同様ワーキングプーアな僕は、金をかけず、1日で何を撮ろうかと考えたのでした。


話は変わって、「フィルムで撮る」とすると、2つのことが引っかかります。

まず、音が別録りとなることです。

もう1つは、音とも関係するとは思うのですが、金です。

いや、正確には「撮影に金がかかっているという切迫感」です。

僕の期まで、映画美学校の初等科修了制作はフィルム撮影でした。

そこで体験したのは、フィルムって、恐ろしく不経済だという現実でした。

録画トリガーを押すと、撮影開始なのですが、「カタカタカタ・・・」という音が鳴り響きます。

(失敗すれば、もうワンカット。そうこうしているうちに、フィルムは無くなってしまう・・・)という緊張感から、

本番中は皆、固唾を呑んで芝居を見守ります。敬虔な宗教信者のように祈るのです。

そんな経験を経て、ケチで貧乏性の僕は、そのフィルムの「カタカタ音」が頭の中で福沢諭吉や野口英世がシュレッダーにかけられるイメージとも思えてきたのです。

「ヨーイ、ハイ・・・・・カット!」と言った後に、散っていった英世の死骸と、兵士を見送った疲労感が残る。

僕はそのことから「『会話』や『セリフ』をくっちゃべってるシーンなんてマジでくだらねえ。会話が見てえなら映画館じゃなく、居酒屋にでも行けよ」と、

仲間内では中学生のように息巻いていました。とはいえ外ではヘコヘコです。(自他共に認める内弁慶だからです)

もちろん実際にはポリシーなどではなく、「あの恐怖のカタカタの中で、セリフを言ってる人間を写してるなんて、勿体無さすぎる」という単なる貧乏性でした。

そこで、①音の問題と、②セリフが嫌、という二つが、短絡的な一点で結びつきます。

「サイレントで、『隠れて、逃げて、誰かが撃ち殺される』くらいでちょうどいいじゃん」

ということです。

次に場所、どこかを借りる、となると金と時間がかかりますし、ダマってやってると、もしもの際、少人数で且つ機材も重いので逃げきれません。

それに学生時代のようにダマって逃げながらやるのにも、面倒臭さを感じる、つまらないところだけ大人になっていたということもあるでしょう。

また、作り込みなども必要になってくるかもしれず、そのためにお金と時間を都合つけなければいけません。

僕は「そうだ、家でやろう」と即決しました。


それからは、そのころには忘れていた気もしますが、そもそも同期の結婚祝いだったこともあり、

「なんとなく男女のカップルが・・・」という感じと、この狭い家でどうしたら「逃げたり、殺したり」ができるのかだけで考えていきました。

できてから初めて、「あ、結婚祝いなのに、男を殺しちゃった」と気づきましたが、「でも、そもそも結婚が人生にとって良いはずもない。この方がリアルだろう」と思っていたし、結局祝賀イベントも水に流れたので結果オーライでした。

(②の【撮影】に続く)

(写真は撮影済みフィルム缶と、現像後のラッシュフィルムです)

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百々保之